【日本の陶器と中国磁器】なぜ歪んだ茶器が現代の欧米で最高級の美術品として輸出されるのか

以前のブログで、現代の最先端技術を支えるセラミックスの世界をご紹介しましたが、今回は私たちのライフスタイルや精神文化に深く根ざしてきた焼き物の器の歴史へと旅をしてみましょう。同じ東アジアで生まれながらも、国や時代、そして美意識の違いによって、焼き物は全く異なる進化を遂げました。そこには、かつて西洋から見向きもされなかった日本の器が、現代において世界的な最高級品へと変貌を遂げた劇的なドラマが隠されています。

日本には平安時代や室町時代から途絶えることなく続く六古窯と呼ばれる備前、丹波、信楽、常滑、越前、瀬戸という代表的な古い窯元があります。これら六古窯の陶器の多くは、あえて人工的な絵付けやガラス質の釉薬をかけずに、土と炎だけで焼き上げる無釉焼き締めという手法で、大自然の営みそのものを器に表現していました。窯の中で薪の灰が降りかかって偶然できるシミや、炎の激しい熱によって歪んだ形など、人間の力が及ばない自然のエネルギーを宿しています。この不完全な美の中に究極の精神性を見出したのが、千利休をはじめとする日本の茶人たちであり、彼らは左右対称の完璧な器ではなく、あえて大自然の厳しさや無常観を宿した歪んだ日本の陶器を好んで茶の湯の主役へと引き上げました。

しかし、時代が十六世紀から十七世紀の大航海時代へと移り変わり、ヨーロッパの商人たちがアジアに押し寄せてきたとき、世界の評価は全く異なるものでした。当時、世界をリードしていたヨーロッパの王侯貴族が血眼になって求めたのは、日本の茶人が愛した土の器ではなく、中国製の滑らかで薄く、強く、光を透かす、精神性よりもきれいに重ね合わせができる機能的な陶磁器でした。当時のヨーロッパ人から見れば、日本の厚くていびつな陶器は、ただの洗練されていない失敗作に過ぎず、貿易品としての魅力は皆無だったため、この時代の日本の陶器がヨーロッパへ輸出されることはありませんでした。一方で、景徳鎮をはじめとする中国の圧倒的な技術が生み出す磁器は、白い金と称され、宮殿を飾るステータスシンボルとして莫大な金額で輸出され、高い人気を誇っていました。

それから数百年の時を経て現代になり、この器の価値観に劇的な地殻変動が起こります。欧米をはじめとする世界中で、東洋の禅の思想やミニマリズム、そしてわびさびの美学が深く理解され、リスペクトされるようになりました。工業化が行き着くところまで進み、均一で完璧な大量生産品に囲まれるようになった現代人にとって、かつてヨーロッパ人が人気のなかったものとして見向きもしなかった、いびつで重ね合わせのできない日本の古い茶碗や茶器こそが、精神的な豊かさを与えてくれる至高の芸術品として映るようになったのです。かつて非合理な形と切り捨てられた日本の茶器は、現代では大自然のエネルギーと職人の魂が融合した世界に一つだけの彫刻として評価され、国際的なオークションで驚くほどの高額で落札され、世界中のコレクターのもとへと輸出されています。

中国の磁器が持つ完璧な美と機能性という合理性と、日本の陶器が持つ自然を受け入れ、手になじむ感覚を重んじる精神的な合理性は、人それぞれの価値観で良いものだと思います。ただ、禅宗(臨済宗)の檀家である筆者梶原個人としては、機能性と比較してこの精神的な合理性にこそ深い価値があると感じられますし、やはり日本文化が紡いできたアイデンティティや、その背景にある歴史ストーリーを愛さずにはいられません。あなたが次に器を手にするとき、その形の裏側にある何百年もの歴史の物語に、そっと想いを馳せてみてはいかがでしょうか。

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A-BONSAI Moyogi Light(黒松 高30㎝)

J-和インターナショナルストア

A-BONSAI Moyogi Light(黒松 高30㎝)

¥79,200